綺麗な想い出なんて
なかったのに


大きな扉の前に立ち尽くすのは、他でもないこのわたしだった。
ここにいれば、会えると思った。取り戻せると思った。

だれに?

なにを?

そんなことはどうでもよかった。私はただ平穏を欲していた。不安で仕方がないのだ。私は自分の存在そのものが不確かな気さえしていた。
ふと、前にいた人が目に入る。柚子葉だ。目を見開く私に、彼女も目を見開く。

久しぶりだね。
言おうとした言葉は声にならなかった。なにに遮られたでもない。ただただ、声にならなかった。

「先、どうぞ」
並んでいるわけじゃないので。他人行儀に会釈をする彼女に、私の声は完全に封じられた。初めましてと、ありがとうございますと言わんばかりに、私も会釈を返す。

私は何を期待していたのだろうか。あの日を取り戻すつもりで、ここに立っていたのか。
最悪な日々だったと言いながら、その想い出を心にどう映していたのだろうか。
瞼を閉じれば、こぼれかけていたそれは、どこかへいったようだった。

扉を開き、その向こうへ足を踏み出す。ボロボロと崩れる不確かな私の影は、まるで幻のように見えた。